光と音の好好好

愛しいものに光を

神の不在

ブログを更新できていなかったのには理由がある。忙しかった、疲れていた、ネットが繋がらなかった、とかではなく、ただ全く書く気が起きなくなっていたからだ。

 

今もうスリランカに来て6日目の朝を迎えている。なるべくなら 楽しい、最高、そんなことだけ書きたいし、みんなにもそれを読んで楽しんでもらいたかった。

 

でも無理に嘘はつけないから正直に書きたいことだけ書くことにする。

 

ここから先は全く推敲せず、自分の思ったことをそのまま書いていくので支離滅裂になっているかもしれない。でも精神に異常をきたしているわけでもなく、私自身は現在体調も良く、別に友達と電話やメールしているときも普通なので安心してほしい。

 

 

 

私は、常に意識しているわけではないが神様、仏様、ご先祖さま、精霊、妖精、天使、マリア、悪魔、太陽、月、自然、故人、呼び方はなんでもいいんだけど、とにかくその都度色んな方々に見守られて生きてこられていると思っている。


やばいやつだとか思われて一線を引かれたりしたら悲しいが、でも本当に自分の中にいる神様を信じて生きている。

 

今回この旅で、観光スポットになっている主な寺にも何箇所か足を運んだ。でも全くの他所、他人という気がして、何も感じられない。この旅には、神様がいないんじゃないかと思う。(私を見守ってくれている人はいるけど訪れる場所に何も感じない?っていうニュアンス)


なんか自分で書いていて何を言っているかよくわからないのだけど、そういう虚しさを感じる。今自分が不機嫌なだけなのかもしれないが、とにかくそれがすごく辛い。


最初は一人旅がくそだ、みたいに書いていたがこんな旅、一人で来てむしろ良かったとさえ今は思っている。

 

別に死ぬほど早く日本に帰りたい、とも思わないしずっと居たいとも思わない。ただただ無、である。


今書いていて少しまとまってきた気がするが、こちらで出会った万物に於いてリスペクトできないからそう感じるんだと思う。

 

旅はまあ特に問題なく上手くいっていると思う。それは自分の力ではなく、誰かが見守ってくれているおかげだと思ってとても感謝している。

でも、まじで訪れる場所、出会うもの、人などに対して基本的に殆どリスペクトできない。

(人に関しては10分の1くらいの割合で出会えて感謝している人もいる)

 

最初は海外旅行のしすぎで麻痺しているのかとも思ったが、関係ない気がしてきた。

 

そもそも私は仕事を辞めると決める直前、色々なことに無感動になって常に生きていてつまんないなと思っていた。


今はそんな風に思わないし、むしろ生きたいし安全な旅にして無事日本に帰りたいと思っている。でもしょーじき、スリランカにいても殆どの時間つまんねーなって思ってる。

 

それは疲れているからか、過酷な旅だからかなんて考えたりして自分のご褒美に良いホテルやアーユルヴェーダ、星占いの予約をしてみたが全く心が躍らない。ただひたすらスケジュールをこなすだけになっている気がする。

 

もしかしたらこれはこの旅だけの問題ではなく、自分自身の問題なのかもしれない。
でも、本当にヤバい時っていつもは面白いと思うことも面白くなくなったり、どんなものも好きじゃなくなって完全に無になるけど、そうではなくて、今私にとって好きな人はいっぱいいるし、大事にしたいものもいっぱいあるんだよね。


だからたぶん結論として、私にとってスリランカがどーでもいいんだと思う。

 

こんなこと書いちゃったらこのブログを読んでくれる人が減るかもしれないし、気分を害されるかもしれないけど、ただ本当にこうとしか思えないんです。ごめんなさい。

 

でもこれを読んでくれている人は少なくとも私のことを理解しようとしてくれている人たちだと思っているので、そういう人たちのことは心から大好きなので、嘘をつきたくないと思い、本当のことを書かせてもらいました。


とりあえず今思っていることを書いたら結構すっきりしたので、多分今夜あたり溜まっていた分の日記を更新できると思います。

最後まで読んでくれてありがとうございました。今日が皆さんにとって良い一日になりますように!