光と音の好好好

愛しいものに光を

スリランカ5日目 キャンディ

地獄のような夜から朝を迎え、キャンディへ向かう。

朝この宿には新しいチャリがどこからか調達されていた。こういうのでどんどん不機嫌になっていく。私がボロチャリに払った金額と同じ金額で、この綺麗なチャリに乗れる人が居るんですよねー?とどんどん卑屈になっていく。

 

もちろん、嫌い!なんだが、全面的に否定する気にもなれない。結局は全部選んだ自分が悪い、そうやって自分を否定して暗い気持ちになってくる。

でも不機嫌なままで居たって世界は暗くなるだけだから、朝スタートの時は体調が悪くてもハッピーを振りまいて自ら最高を勝ち得ようと努力はしていた。

 

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キャンディはポロンナルワからコロンボまで移動するのは遠すぎるので途中休憩地点ということで一泊することに決めた。スリランカではコロンボに次ぐ都市とのことで、そもそもコロンボにすら足を踏み入れていないがやっと都会に行けるということで気分はだいぶよくなっていた。想像していた都会とはだいぶ違っていたが、私が今まで見たスリランカの中で一番文明度が高く感じられた。銀行もあるし、パン屋もある。薄暗いショッピングモールもあった。あとピザハットもあったな!

 

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これはバスの道中に見つけたバーガーハット。不敵な笑みを浮かべる店員の顔がよい。

 

そしてゲストハウス(という名の民家)ではなくやっとホステルに泊まることができた。いつもならドミトリーの二段ベッドで他人と寝ることや風呂トイレ共同であることなんてストレスでしかなかったが、むしろそれが有り難くすら感じられた。

やっと、やっとだ、、、という感じ。久しぶりにインターネットがまともに使えた。

 

食事が喉を通るようになった。

本当はスパイスじゃないものを食べて胃をいたわりたいが、そんな店はないのでカレー。スリランカは魚のカレーが美味しい。

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でも知り合ったカナダ人はキャンディもコロンボもうんざりらしく、東の方にある海沿いの田舎へ行くと言っていた。私とは真逆だ。

 

 

この旅で本当に実感したことがひとつある。

そもそもミャンマースリランカへ行くことは、中国買い付け旅のついでだった。中国から格安で行ける、まだ行ったことがなくてちょっときになる国、、そんな感じでセレクトした。

実際、最近ミャンマー料理を食べに行ったりミャンマー音楽に触れる機会があって本当にミャンマーが気になっていたし、スリランカもカレー美味しいしアーユルヴェーダがあるしで行ってみたい国のひとつだったのだが、なんせ思い立ってから行動に移すのが早すぎた。

中国渡航当日に航空券を買ったのである。だから全然その国のことも調べないまま、自分がその国に行って何をしたいか何を見たいかも具体的に考えないまま、まあそれぞれ一週間ぐらいありゃいいっしょ?ぐらいの感じで決めた。

一応ミャンマーではミャンマーのカセットとCDを買いたいという目的、スリランカではスリランカの料理を習って、アーユルヴェーダを受けたいという目的があった。でもそれってやろうと思えば1日でできるんだよね。

だから残りの日をなんとかするために遺跡に行ったり所謂観光スポットを巡ることにしてしまった。本当にこれが間違いだった。もう35カ国行って、遺跡とか城なんて死ぬほど見てきた。しかも毎回いろいろ海外へ行って自分が興味を持つことってそういう観光名所なんかじゃなくて、普通の人の暮らしなんだよね。都会の人の暮らしも田舎の人の暮らしもよい。だから今回、自分は惹かれないけどみんながおすすめするからって理由で、自分の心なんか蔑ろにしていろいろ遺跡へ行ったり寺へ行ったりした。

それはそれで完全につまらなかったわけではなかったが、やっぱり疲れた。

 

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たとえば細かいけれどこういうところ。虫除けか魔除けかしらんが、こういう発見が私にとっては大切。

 

こんな簡単なことも27になってわからないの?って思われるかもしれないが、まだどこかで、みんなが良いと思うものを私も良いと言えるようになりたいなんて思っちゃっていた。

 

だってみんなが良いと思えるものを良いと思えるってことはそれだけ共感し合える人達の母数が大きいということであり、その分わかりあえる友達が多くなる可能性があるということだ。

 

だからずっとそうでありたいと少しの希望を胸に抱き続けて生きてきた気がするのだけど、今回の旅で私はこういったものから完璧ではないけれども決別できたんじゃないかなと思う。自分にとっては痛みを伴うものであったが、これが自分をよりよくするためのものであると信じたい。

 

 

どんどんどんどん失速していったこの旅ブログを見守ってくれた人にはごめんなさいと有難うを本当に伝えたいです。

 

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キャンディ行きのバスで配られた神様シール。多分ドネーション的なニュアンスだと思う。共感できる人はお金払ってこのシールを貰ってください、いらない人はこのシールを返してくださいというようなことが書いてありそうな紙を渡され、必要がない人の分だけ回収していった。一度渡したものを返してもらう手間、、、

しかしこのシールは仏教ヒンドゥー教が一度に楽しめるお得さが良い!