光と音の好好好

愛しいものに光を

スリランカ6日目 前編

先ほどのブログを書いて即エイヤっと宿を飛び出し、史上最悪に重たくなったバックパックを背負ってコロンボ行きのバス乗り場まで歩く道中に信じられないぐらい気持ちが晴れやかになっており全てのものが愛おしく思えてきた。

 

一度執着をリリースしたのがよかったのかもしれない。

 

盲目の人がプラスチックのでんでん太鼓を売ったり、リコーダーでスリランカらしいピロピロした音楽を奏でているポイント、何故かやたら子供用のままごとグッズを大量に扱う店が何軒もあるエリア、何か一つのものだけを売り歩くひとがひたすらその売り物の名前を連呼し続ける感じ、必要ならトゥクトゥク乗って欲しいんだけど、私がバス停に向かってるって言うとバス停の場所を聞いてもないのに親切に教えてくれるおじさんたち、スリランカ人通りすがりに知り合いに遭遇しがち問題、見るからにツーリストの私をじっと見る眼差しは結構こわいんだけど、こちらが微笑むと必ず相手も微笑み返してくれるところ、当たり前でどうでもよくて何とも思ってなかったことが全て愛おしくって良いことだな、と思えるようになってしまった。
今まで聞こえていたけど私の体を通り抜けていた音がしっかりと私の体に入っていくようになったのを感じた。

 

今朝は5:30に起きてキャンディの名所、仏様の歯が祀られている仏歯寺というお寺へ向かった。
5:30、9:30、18:30にプージャー(お祈り)があるのだが9:30だと遅すぎるというのと、ガイドブックに早朝のお参りは入場料1500円が無料になると書かれていたこともあり貧乏暇無し(使い方違うぜ)わざわざ早起きして出向いた。


まあ無料になるっていうのは6割ぐらいしか期待していなかったのだが、案の定無料にならないとわかるとスリランカに対するむかつき度数が上がってしまった。


スリランカで出会ったカレー好きのヤスくんがスリランカの南東の方にあるお寺のプージャー動画を見せてくれたのだが、その音楽が呪術的でとてもかっこよくあわよくばそのようなプージャーが見れるのではと期待してわざわざお金を払って寺に行ったのだが、こちらのお祈りは平和的で太鼓とスォナン(チャルメラ)ドンピリヒャラリといったところであった。

 

隣接してヒンドゥーのサラスバティーを祀っているお寺があり、そちらもプージャーの最中だった。こちらはおじいさん一人がサラスバティーが持っているような輪っかになった鈴を鳴らしながら歌い続けておりまあよかった。

 

腹が立つ度に雨が降る。忘れると止む。そんな程度にしかこちらは雨が降っていないが、コロンボ近くの内陸部では洪水で50万人の人が避難を余儀なくされ、100人以上の人が亡くなっているとのことだ。


そういえば以前インドのバラナシへ行ったときも稀に見る大洪水が起きていて結構死人が出ており、ガンガー沿いのプージャーは全く見ることができず、私も深いドブのようなところを通らざるを得ないような状態だった。

 

もうこの旅も残すところあと2泊である。自分としてはやっとスリランカと向き合えるようになってきたので少ないと思うが仕方がない。


本当は鉄道に乗ってみたかったが本数が少なすぎて着く時間も遅かったので諦めた。コロンボ行きのバスがくるとおぼしき道路へいくと即コロンボ行きのバスがみつかる。


こちらは鉄道よりバスが主要な移動手段になっており、バスターミナルとかバス停は何も書かれていないし全然わからないのだが、行き先をいろんな人に呪文のように唱え続ければ必ずバスに乗れるし主要都市であれば殆ど待つこともなくバスが来る。バス乗り場や乗り方、時間などを事前に下調べしても大した情報は出てこないので何も考えず、ただバスに乗りたくなった時人にひたすら行き先を告げる、これがスリランカ移動の攻略方法だと思う。
因みに、最初に行き先を告げてさえいれば降りる時教えてくれるので、図太い人は安心して寝ていてもよい。料金をちょろまかされることもない。

 

後編につづく